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語り部:勝司さん(80歳)
狭山競艇(競走)は、昭和27年(1952年)9月から3年余り開催された。
※昭和31年(1956年)4月に閉鎖。
開催期間は4日間と6日間があり、選手は1日2回出走していました。
出走するたびにエンジンと舟は替わっていました。
表彰式では軍艦マーチがかかり、選手達が観覧席近くの放送席まで来て、選手・監督・幹部の挨拶があった。
午後4時になると、入り口の扉は開かれ自由に出入りできたので、その表彰式を見る為に、午後4時半ごろによく狭山競艇場(競走場)行ったものです。
選手の顔がよく見えるくらいの場所で、表彰式を見ることが出来ました。
当時よく活躍された選手は、No.13三津川要選手・No.14佐竹昭選手・No.15森田喜代治選手・No.16松居修選手・No.19前川選手。
その他に小田守選手、大阪出身の田中之選手・平井勇選手がいました。
芸能人の松居一代さんの父親、松居修選手は滋賀県出身で、インコースをとるのが上手な選手で、インコースをとれば1着か2着に入っていました。
狭山池出身の、西野選手・福田選手・川本選手・小池選手は、中堅として活躍していました。
狭山競艇に来る選手は、近畿地方出身の選手が多かったです。
勝司さん、ありがとうございます(^^)
勝司さんによる「狭山競艇場」の昔話、①【昭和27年開設】狭山池にかつてあった「狭山競艇場の3年余り」も、是非あわせてご覧くださいね。
※当記事に掲載されている狭山競艇場のお写真は、狭山池土地改良区様の許可を得て掲載しています。
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